装飾から創造性へ

 GWも終わり、保育園は子どもたちが元気に遊ぶ姿で活気に満ちています。

 GWのお休み明けに、玄関の装飾が変わっていることに気づいた幼児の子どもたちは、戸外への出入りの時に靴を履き替えながら装飾を眺め、ひとしきり装飾からイメージすることや、知っていることを大人や友達と会話している光景をよく見かけます。

装飾というと、一見、子どもたちは「受動的」に受け取るだけのように思う人も多いのかもしれません。

ですが、TVやYouTubeなどの視聴による受動性(一方的なコミュニケーション)と、装飾を見るなどの能動的な視覚的コミュニケーションは、見る人の経験や感性によって、そこからの発見や気づき、感動、想像が、能動的に発動していく(自ら注目する)かどうかという点において、違う影響をもたらすものだと言われています。

 幼児期は、個々の子どもが視覚感覚から得た情報よって、感性の発達も触発されることが大きくあるので、日常の風景にある美術教育がより豊かな感性を育てていくうえで大きな影響を与えるものになるでしょう。

 様々な動画コンテンツやゲーム類が発展し、特に意図せずとも視覚情報にさらされている時代になったからか、最近では、美術館や現代アートと自然がテーマになっている公園や展示場の情報がよく話題になっています。それらが注目されることも、歴史的に受け継がれてきた美術品や絵画から「美的感性と人々が生きてきた背景」から、見る人に感動や美的体験の楽しさ、自然に触発されて表現される造形などのアート空間に心地よい刺激を受けることを、人間が本能的に欲しているからではないかと思います。

 子どもだけでなく、たくさんの情報に日々さらされている現代の大人にとっても、そうした美的なものや空間から受け取る感動や発見が、「癒し」や「思考」何かをしようとする「意欲」になるということなのでしょう。また、受動的に受け取るだけでなく、人間の本質が感動したり、発見したことを創造的に表現することを、潜在的に必要としているからかもしれません。

 保育園での

     美術教育

 

子どもは視覚的感性が発達していく中で、そうした様々なアート作品を楽しめる力を養っていきます。

 そして、めまぐるしいTVや動画を見ることだけでなく、その子自身が何かを伝えることができる描画や造形で想像したものの動きや、興味を持って聞いたお話、身近な出来事の1コマを創造的に表現することを試みるようになっていきます。小さな子でも地面に模様や絵を描いたり、石を積んでみたり、描画を好むなどの姿が出てきます。

子どものそうした欲求を汲み取りながら、保育者は環境やきっかけを提供することが大事になるのでしょう。 

 またそのような行為は、子どもにとって自然やアートを通じた大切な視覚的コミュニケーションでもあります。それは、単なるその子自身の表現や伝達手段ではなく、他者とも感覚を共有する遊びであり、何かを創り出す喜びの源です。 しかも、そうした遊びに完全な「描画、造形能力」を必要とするわけではありません。

素朴でも、少しいびつな形態でも表現したものを、子ども同士互いに見せ合ったり、聞きあったりしながら、互いに影響しあいながら、より豊かな発想を生み、遊びが展開され、友達と一緒に創造的な活動をすることを喜びにするようになります。

絵や造形を通した感覚や意味の伝達は、人間の特徴でもあり、言葉を使う能力や書く(筆記)能力の発達より先に出現します。

 だからこそ、幼児期はまだ言葉で表現できないことや記憶、感情を自由に表現する手段としても描画や製作が身近にあることが必要でしょう。

 さらに、頭で考えるだけでなく、自分の身体的な感覚を意識しながら、身体全体の感覚や微細な技能を働かせるような体験としても表現遊びは大切です。

重要なのは、それが幼児にとっては単に遊びであって、自由に創り出す喜びを味わう活動であると、保育者の中で理解されていることが大事な点です。個性や創造性を育むには、無理にやらせたり、イメージを強要し、子どもの表現を操作するような関りや指導は避けたいですね。

 むしろ、子どもが主体的にイマジネーションを働かせられるような素材、道具、色、手触りや形などを工夫して提供し、子どもが「やってみたい!」と感じ、進んで表現活動に向かうような準備と提供がされることが望ましいと考えています。

まずは大人も身の回りを美しく飾ることを楽しむ気持ちから、美的で芸術的な教育に取り組んでいきたいですね。

❤️ハートクラス

ハート組に進級しました。

くるみ組の仲間になったので、戸外遊びが園庭でできるようになりました!

大きい子と一緒にわらべうたに参加したり、追いかけっこをしたり。

砂遊び、地面にお絵描き。

タイヤの山はお家や船になります。律儀に靴を脱いで参加します。

お庭でお茶会。

サッカーに夢中。

ルールのある遊びもできるようになりました。

砂場とは違い広い園庭で様々な遊びをしている子どもたち。

たくさん遊んで帰り道は「今日はお茶を5杯飲む!」「ぼくは10杯!」という話題で持ちきりです(笑)。

認可保育園 キッズエンカレッジ
キッズエンカレッジ

新年明けましておめでとうございます

 年末年始、お天気に恵まれて皆さま穏やかに過ごされているでしょうか。

 年末には、久しぶりの旅行や里帰りを予定しているというお話が子どもたちから出ていたので、ご家族での時間を元気に楽しんでいるといいなと思います。

ただ、コロナ流行はまだ油断できない状況なので、皆さまどうぞ自衛なさりながらお過ごしください。

 長引くコロナ感染の影響ですが、できる感染対策をしながら、子どもたちの活動が制約されたものばかりにならないように工夫しながら、保育園でも様々な活動に取り組んできました。

 特に幼児は自分たちで考え、行為していけるような内容を重視しながら日々の保育を積み重ね、10月の宝探し会や12月の表現発表会に取り組み、新しいことにチャレンジしながら友達と協力することや、助け合うことなどを子どもたちは能動的に経験できたように思います。

 そうした活動を通じて、子ども同士の仲間関係に広がりができ、いろいろなお友達と一緒に遊ぶことが自然にできるようになっていきました。

 こうした子どもの姿から、日常の活動が豊かになり、そこで子ども自身が主体的に自分たちの遊びを行っていけるような環境づくりと保育者自身が環境であることの自覚がますます大切になっていると、昨今の社会的な「保育の問題」から感じることです。

 報道されているような「事件」によるものだけではなく、保育の問題の多くは、子どもにとっての環境とは何が必要なのか?という視点で議論がされにくいことではないかと思っています。

率直に現場サイドから必要とする環境づくりと国の基準や要請に乖離があることは、様々なコメンテーターが述べていることですが、そうしたことはもう20年以上前から改善要求として訴え続けてきたことでもあります。

何か大きな「事件」がないと、子どもたちを守りたいという声がかき消され、運営側の自助努力を余儀なくされているところに日本の保育問題の根深さがあると考えています。

保育園にいる子どもたちは様々な月齢、発達差があり、家庭生活の背景が違う子どもが10人、20人といる集団で、ごく普通に行われている活動でさえも、場合によっては、本来の子どもの発達に合わないことを無理にさせれば不適切なことになります。

そうすると、何でも一律に一斉にさせる活動が続くことは、一部の子どもにとってはかなり不適切な保育を日々経験している状態になっている可能性もあります。

 では、集団保育の中ではどんな機会を通して子どもの成長発達が保障されていけばいいのでしょう。

その基本的な道筋は、国の保育の指標となる保育所保育指針でも言われている「環境による保育」の内容を掘り下げ、保育園、保育者が学び、実践の中で豊かにしていくことだと思います。

 保育園や幼稚園、子ども園に子どもが遊ぶ環境(学ぶ環境)が、いかに提供されているかが「子どもの発達をどう考えているのか」というレベルを表しているでしょう。

具体的には、一日の日課をどう考えるかということからです。

保育園の一日の時間は、保育者にとっても子どもにとっても有限ですし、その中に「子どもに育てたい、心情、意欲、態度」という、年齢や発達に対する指導が教育的な要素として大事にされているなら、

「外で自由に動いて遊べる時間、室内で遊べる時間の長さ」「細切れではなく一続きになっている時間の長さ」がどのくらい子どもに保障されているのか?ということも非常に大事になってくるのだと思います。

子ども自身が「あてがわれた遊び」ではなく、主体的に遊びたいことを見つけて、友達と遊びこめるような時間がなければ、子どもからしたら遊んだことにはならないのですから。

 そして、屋外でも室内でも、子どもたちが自由に使える、手に取れる遊具はどのくらいあるのか?も、とても大切な環境条件です。自分たちで自由に選択できず、量もない遊具の環境では、子どもがしたいことを見いだせないとうことになるでしょう。

 

 さらに、ここは配置基準からして現場としては悩ましく、実現されていることが少ないのですが、子ども側の必要な時間帯に、必要な場所に大人がいるか? 

つまり、子どもの状況や状態に合わせて援助ができる人的条件がつくれているかということです。

食事や排せつなど、個人差が大きいところは大人の援助が自然にある状態が子どもには必要です。

活動や生活の様々な場面で、子どもがあっちからも、こっちからも「せんせー、やって」「せんせー、できない」と少ない大人を求めて大声で助けを呼び、保育者がそれに「待ってね」「今いけないから」「○○ちゃんが終わってからね」とたくさん待たされることで子どもが「自分でする」意欲をそもそも削いでしまうことにもなっていきます。

 そうしたことが極力おこらないように、日々の保育に工夫がされ、多くの園の保育士が責任を果たしたいと精一杯取り組んでいるのですが、当園も含めて圧倒的に必要数の保育者がいない状況は、各園の誠意だけでは解決できない問題でもあり、国や行政を含めた解決策を急いで持たなければと他園と共に行政に働きかけながら、早期の改革を熱望しています。

 現実の問題は山積みですが、私たちに今できることは、子どもたちが「したいことがたくさんある」「したいことがじっくりできる」、真に子ども主体の保育を実現することへの努力をし続けること、そしてその環境がより良く創れるよう、可能性を模索し続けていくことだと思います。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2023年1月1日  

園長 日下部樹江

新年あけましておめでとうございます

 今年の年末年始は、空気は冷たいものの良いお天気が続き気持ちも晴れやかになりますね。

 私もお正月といえば・・の、お節料理を何とか盛り付け、日本の伝統的なお正月の雰囲気を味わっています。

 皆さまは、どんな年始をお迎えでしょうか。

 在園の方々にはご挨拶と、記念の園児用Tシャツをお配りさせていただきましたが、昨年は現在の保育園の前身、「保育ルームkidneyBean」の設立から20周年を迎えました。

 20年、多くの月日が経ちましたが、感覚としてはあっという間でもあったように思います。

 子どもたちにとって、より良い環境を築くべく、認証園へ、そして認可園へと拡充していくことを実現できたことで、現在の形が整ってきたのですが、その反面、皆様の実情に柔軟にお応えできる自由度に制限が加わってしまったことは否めません。

 認可外保育園が全て自由であるわけではないのですが、「制度」の壁は認可保育園より低いのが実際です。(保育園ごとの裁量がかなり大きいという意味で)

 しかし、経済的には行政の補助が薄いので、認可外保育園ではその経営を成り立たせていき、安全に保育を行うために保護者、利用者の方々への負担をお願いすることが必須となります。

 この両方を経験し、20年の歩みを振り返りながら、改めて国レベルの乳幼児保育、教育への本格的な整備や補助の必要性を感じます。

 政府の政策が様々に出されてきたさ中ですが、それが良い形で遂行されていくことを当事者である私たちと保護者の皆さんで見守り、様々な機会を通じて要望を届けられるといいなと思います。

 社会が多様性の尊重を受け入れ、この地球規模の持続可能性の実現に向け手を取り、互いの利益を保証しあいながら協同していこうとするならば、その持続する社会の担い手となる子どもたちの育ちに、大きな枠組みでの施策を実行してほしと切実に願います。

 保育園の1年を振り返りますと、ひと時のコロナ感染、緊急事態宣言下のような生活面での制限が緩和され、感染対策をしながら保護者の方々にもご参加いただける行事が、工夫しつつ実現できたことは本当に良かったと思います。

 家族の人が来るということ、一緒に楽しむことや、日ごろの自分たちの活動を見てもらえるということが、子どもにとっては大きなモチベーションであり、少し恥ずかしいけれど誇らしくもあるという心情をもちながら活動するという貴重な経験になります。

 そうした1つ1つの機会が積み重なって、その子なりの見通しや、自分なりの心の準備をしていけるようになるのですから、行事が単なる「お楽しみ」だけではなく、行事当日に至るまでの経過に目的やモチベーションが湧いてくることが子どもにとって大事なことです。

 その目的の大きな1つが、自分の活動を家族の人に見てもらえるということでもあります。

 そのような意味でも、先日クリスマスの日に行った「アートと表現の会」では、子どもたちの日々の活動の経過やどんなことを体験しながら作ったのか、などを見ていただけたのではないかと思います。

 今年も「日常にある学びや発見」が子ども自身の好奇心の芽を育て、一人一人の子どもが自分の興味や好きなことにたくさん出会えるような保育を目指していきたいと思います。

 毎日の活動を通じて、子どもたちが個々の個性や特徴を存分に発揮し、それを互いに認め合うような関係性の育ちを私たち大人が援助できるように、気持ちを新たに努めてまいりたいと思います。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

園長 日下部樹江

明けましておめでとうございます

 穏やかで良い天気のお正月ですね。
今年は皆さんもお家で過ごしていることが多いかと思います。
私も家でお正月らしさを演出しながら、非日常を楽しんでいます。

 年が明けても、昨年からの新型コロナウイルス感染拡大は、残念ながらまだ大変な状況が続きそうです。
 そうした状況に伴い、いやおうなく社会の様々なことが変化し始めています。
仕事や学校のあり方も、今までの「常識」とは違うことがますます私たちの生活にはいってくるのでしょう。
 社会が変化すれば、子どもたちの教育にも、新しい時代に即した必要性が生まれます。

 保育という幼児教育の初期においても、「これからの子どもの育ちに必要なこと」を見出し、子どもたちが十分に経験できる環境を創造していくことが求められていくでしょう。

 これまでも緩やかに変化し始めていたことが、コロナウイルス感染拡大という社会的な危機が起きたことで、様々なことのデジタル化が加速しています。
大人もテレワーク、子どももオンライン授業など、すでに日常の変化は訪れています。
それらが示していることは、これまで世界に少々立ち遅れていた部分の教育システムの変化が、日本の教育にも急速に求められているということだと思います。
 では、教育システムを変化させることによって、社会では子どもをどう育てようとしているのでしょうか?
私たち大人は「子どもに何を育てるか」ということを、これからの教育の内容として真剣に考え、見据えていく責任があります。しっかりとした方向性をもちながら、日々の子どもの生活環境、活動・学習環境を築いていく役割があります。

 その1つは、デジタル教育の先につながっている、AI時代を生きる子どもたちに必要な「能力」とは何か?を考えるということが大きなテーマになるでしょう。
 そう遠くない未来に社会の多くの仕事がAI化されていくことが確実に進んでいくと考えると、人間は「AIにできない仕事」ができることが求められるということですね。
AIが万能なのではなく、人間が生きていく社会のすべての仕事を肩代わりすることができないことも、現在の科学では明確に示唆されています。
ということは、人間がAIの苦手を引き受け、共存できる力を持たざるを得ない社会が近未来なのだと言えるでしょう。
 AI教育の研究者によると、「AIの弱点は万個教えられて、ようやく1を学ぶこと。応用がきかないこと、柔軟性がないこと、決められた(限定された)枠組みの中でしか計算処理ができない。」ということだそうです。

 つまり、AIは情報処理をするけれど、物事の必要性や意味は人間のようにはわからないということですね。
 ですから、これからの子どもたちに必要な能力、育てたいことは、AIが得意とすることの反対で、1を聞いて10を知る能力や応用力、柔軟性、フレームに囚われない発想力、ということでしょうか。
 そうしたことを教育で育てる具体的な学習は、まず読解力です。読解力を基盤とするコミュニケーション能力や理解力が子どもの日常活動(学習)として十分に経験され、習得できるような具体的な保育活動、教育的関わりが大事になるのですね。

 だからこそ小学校の教科学習に入る前の保育の中で、「子どもの育ちの具体的な目的」が保育のねらいとして持たれていることが重要ですし、子どもにとっては楽しい遊びの活動であり、こうしたことの具体的な経験の積み重ねであることが求められるのだと私たちは考えています。
数学的思考も、会話が成り立つということも、根っこの基礎的な力は同じです。

 そうした保育目標を持ちながら、保育園では昨年も具体的な活動として「お話し会」や、表現活動を充実させてきました。今年は、更に活動内容を深め、また多様な形で子どもたちが体験できる環境を築いていきたいと思います。
コロナウイルス感染状況という社会的な制限はあるかもしれませんが、私たち大人も柔軟な発想力を発揮できるように努めながら、有意義な保育を実現していきたいと思います。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

樹江