明けましておめでとうございます

 穏やかで良い天気のお正月ですね。
今年は皆さんもお家で過ごしていることが多いかと思います。
私も家でお正月らしさを演出しながら、非日常を楽しんでいます。

 年が明けても、昨年からの新型コロナウイルス感染拡大は、残念ながらまだ大変な状況が続きそうです。
 そうした状況に伴い、いやおうなく社会の様々なことが変化し始めています。
仕事や学校のあり方も、今までの「常識」とは違うことがますます私たちの生活にはいってくるのでしょう。
 社会が変化すれば、子どもたちの教育にも、新しい時代に即した必要性が生まれます。

 保育という幼児教育の初期においても、「これからの子どもの育ちに必要なこと」を見出し、子どもたちが十分に経験できる環境を創造していくことが求められていくでしょう。

 これまでも緩やかに変化し始めていたことが、コロナウイルス感染拡大という社会的な危機が起きたことで、様々なことのデジタル化が加速しています。
大人もテレワーク、子どももオンライン授業など、すでに日常の変化は訪れています。
それらが示していることは、これまで世界に少々立ち遅れていた部分の教育システムの変化が、日本の教育にも急速に求められているということだと思います。
 では、教育システムを変化させることによって、社会では子どもをどう育てようとしているのでしょうか?
私たち大人は「子どもに何を育てるか」ということを、これからの教育の内容として真剣に考え、見据えていく責任があります。しっかりとした方向性をもちながら、日々の子どもの生活環境、活動・学習環境を築いていく役割があります。

 その1つは、デジタル教育の先につながっている、AI時代を生きる子どもたちに必要な「能力」とは何か?を考えるということが大きなテーマになるでしょう。
 そう遠くない未来に社会の多くの仕事がAI化されていくことが確実に進んでいくと考えると、人間は「AIにできない仕事」ができることが求められるということですね。
AIが万能なのではなく、人間が生きていく社会のすべての仕事を肩代わりすることができないことも、現在の科学では明確に示唆されています。
ということは、人間がAIの苦手を引き受け、共存できる力を持たざるを得ない社会が近未来なのだと言えるでしょう。
 AI教育の研究者によると、「AIの弱点は万個教えられて、ようやく1を学ぶこと。応用がきかないこと、柔軟性がないこと、決められた(限定された)枠組みの中でしか計算処理ができない。」ということだそうです。

 つまり、AIは情報処理をするけれど、物事の必要性や意味は人間のようにはわからないということですね。
 ですから、これからの子どもたちに必要な能力、育てたいことは、AIが得意とすることの反対で、1を聞いて10を知る能力や応用力、柔軟性、フレームに囚われない発想力、ということでしょうか。
 そうしたことを教育で育てる具体的な学習は、まず読解力です。読解力を基盤とするコミュニケーション能力や理解力が子どもの日常活動(学習)として十分に経験され、習得できるような具体的な保育活動、教育的関わりが大事になるのですね。

 だからこそ小学校の教科学習に入る前の保育の中で、「子どもの育ちの具体的な目的」が保育のねらいとして持たれていることが重要ですし、子どもにとっては楽しい遊びの活動であり、こうしたことの具体的な経験の積み重ねであることが求められるのだと私たちは考えています。
数学的思考も、会話が成り立つということも、根っこの基礎的な力は同じです。

 そうした保育目標を持ちながら、保育園では昨年も具体的な活動として「お話し会」や、表現活動を充実させてきました。今年は、更に活動内容を深め、また多様な形で子どもたちが体験できる環境を築いていきたいと思います。
コロナウイルス感染状況という社会的な制限はあるかもしれませんが、私たち大人も柔軟な発想力を発揮できるように努めながら、有意義な保育を実現していきたいと思います。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

樹江

明けましておめでとうございます

今年のお正月は、とてもいい天気が続いて気持ちがいいですね。
 年末の寒さで体調不良になっていた子どもたち、保護者の皆様はお休み中に回復されたでしょうか?来週から元気に会えることを楽しみにしています。


 昨年は、保育園でも「食べることとは生きること」をスローガンにして、食育活動を様々に行ってきました。栄養士、調理職員の丁寧な指導もあり、子どもたちは事前学習と調理実習をとても楽しく行うことができたと思います。クリスマス会では、子どもたちと作ったクッキーのレシピで作ったクッキーがプレゼントにもなりました。 味わっていただけましたか?


 そんな活動を経て、「食」に興味が高まった子どもたち、お正月はどんな食事をしているのかな?


 日本のお正月に食される伝統的なおせち料理や御雑煮など、経験することも少なくなってきたかもしれませんね。忙しい日常や、普段食べ慣れていないので好みではないことなど、伝統行事にちなんでの食事もしなくなっているのが現実かもしれませんね。
 ちなみに我が家のおせちは。

我が家のおせち

実はほとんど市販のものですが、お正月用の御重にそれらしく盛り付けてみました!😀

ちょっと豪華で、なんだか特別な日な感じでしょう?


実は、こんなふうに季節の伝統的な行事や食習慣を、無理のない範囲で、子どもと家族で楽しむことをすることが、子育てで大切にしたいことなのですね。
子育てを難しく考えずとも、生活の中での自立と社会性はこうしたことで発達していきます。


 親、大人の願いは、子どもが大きくなるにつれ「集団や社会の中でより良く適応していってほしい」という想いが強くなります。こうした願いにより、親は『しつけ』を意識するようになるのですし、もちろん適切な時期に適切な教育としてのしつけは必要になります。


 なぜなら、しつけをすることで、子どもが基本的な生活習慣を獲得し、自立していくこと、社会で適応していけることが、その子の人生の土台となる大切なものだと大人は考えるからです。


 どんなに個性、個人が尊重される社会でも、人間が社会で生きることを否定しては生存していくことができません。自分ひとりで、食べ物、衣服、住まいの全てを創りだすことは不可能でしょう?大人は、先回りしながらも、実はとても当たり前の愛情で心配しているのです。 でも、「しつけ方がわからない」から、時に厳しくしたり、甘やかしたり・・・迷走しがちなるのですよね・・💦

 そう、その心配は現実の側から見たら、とても当たり前なこと。人は生きる上で、必要不可欠である社会という集団がより良く成り立っていくように、その集団におけるルールを持ち、秩序を作って暮らしの調和を保っています。 子どもは、「生活の中の折り目」という生活の仕方や意味を、伝統行事や冠婚葬祭という儀式に触れることで知ること、感じること、考えることを経験していくことができるのです。


 しつける、という堅苦しい緊張感の中で親が子に強いるのではなく、たとえばお正月のように、親にとっても子どもにとっても特別な日に少し「特別なことをする」=日常の中の非日常を味わう体験が、子どもの内面の発達にたくさんの栄養分を与えることになるのです。


 そして、身近な大人と共に楽しく、物事によっては驚きをもって体験した子どもにとっての「特別な日」は、毎日の中で自由に再現できる経験として積み重なることで、子どもに新しい出来事と学びをもたらします。
 このような「強制されない学び」が、日常にあるように、私たち大人が少し生活の中の行事に意識を向けていきたいですね。


 イベント化を求めるのではなく、「行事の体験後の生活」にも続いていく、道具、空間、振る舞い方など様々な学習や知識の獲得が、子どもたちに手渡されていくことを願っています。


 保育園でも、個々の子どもの感じ方、受け取り方、楽しかった場面は子どもによって違うものですが、のちに子ども同士がそれを遊びの中で再現するときに、本当の行事の意味があるのだろうと考えています。
 無理のないところで、伝統や本物に出会うことが、日常に折り目をもたらし、豊かに子どもの感性へと取り込まれていくような子育てを、大人の私たちで実現したいですね!


 今年も、毎日の生活を丁寧に積み重ね、それを発揮できる行事も大事にしながら、子どもとの生活を充実させていきたいと思います。


 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

樹江